2025年01月09日
あけましておめでとうございます。
2024年02月24日
北京から海南島への旅。20240105-0215
40日間の風、霜、霧、雨、雪。
山、谷、湖畔、海、花、遺跡など、
高速の利用をメインに、県道、狭い村道、険しい山道、渡り船・・・
の中のドライブ、往復走行距離約9000キロあまり。
2市(北京市、天津市)
6省(河北省、山東省、安徽省、湖北省、江西省、広東省)
2島(香港、海南島)を経過し、大小40以上の観光スポートを見回った。
いくつ予定していた景観が春節にかぶり
人だかりを避けるため、断念した。
まだ、予定していた帰り道は大雪と凝った雨の悪天候の影響で
行程を伸ばし、遠回りする他の道を選択せざる得なかった。
出発の北京は厚い防寒コートで、
南に行くにつれ厚着を脱いていき
海南島にたどり着くと短パンで過ごすのも暑かった。
その海南島に行くのに、大陸と挟む海峡を渡る渡り船を使うしかなく、
時期は春節前後に重ねるため、その渡り船を利用する人数も多く、
乗船までの待タイムプラス乗船時間を合わせると
16時間(入7時間、出9時間)もかかってしまった。
まあ、大変イライラし、うんざりさせる気分になっていた。
二度と車で来るもんかっ!!!
しかし、意外にも体力的持ったし、車ももてた。
さて、メンテして9000キロあまり走った車は
間も無く再度メンテに出さなければ・・・
PHOTOは北→南→北の観光ポイントのピックアップで
荒涼→緑と花→荒涼の移り変化でもある。
2024年01月02日
2023年11月21日
この1年間・・・2023
(2022-2023)年末年始に
4年余り横行したCOVID-19の終わりを宣言したとったん
感染した。熱ほどひどくないが、全身の筋肉痛が
ま、2、3日が続いたな。
――
終わりとは、久々の自由のはじまり。
そして、4月上旬に高速鉄道に乗って
一週間あまりの蘇州とその周辺の旅に出かけ
足慣らしとでも言いますかな〜
5月には久々の日本へ。
各方面送られてきた書類に書かれた内容に走る。
明るくない雰囲気が漂った電車に乗って走る。
―
6月中旬に祟礼へ
今年の夏は特に暑い、暑くて耐えられない北京市民の大量が
この山中に”避難”してきた。
例年の静けさも吹っ飛び、やや落ち着きが悪い。
しかし、今年の祟礼も、例年より昼間が暑かったが
夜が例年通りに厚い布団かけないと眠られない・・・
このまま3ヶ月あまりの時間が過ごした。
―
9月下旬に超短距離ドライブ(往復約500キロ)
河北省の承徳市・避暑山庄へ
10月に新たに短距離
――山西省と陕西省へのドライブ(往復約2900キロ)
これも長距離のドライブへのトレーニング。
さて、北京から五台山 、平遥古城 、平遥古城 、延安市 、甘泉大峡谷、
波浪谷龙州丹霞地貌 、碛口古镇、万年冰洞 、应县木塔、北岳恒山/悬空寺 、
大同土林 、大同火山群、雲岡石窟
の走り順で廻ってた。
12月には長距離ドライブを計画中・・・
―
ロシアとウクライナの紛争はそろそろ終幕ですかね。
中東の紛争は始まった・・・
世界は思わぬ方向へ進んでいるような〜。
2022年12月12日
2022年12月09日
中国も・・・
2022年11月25日
"第三次世界大戦"は終焉か・・・
2022年10月24日
遠出は困難・・・












2022年10月19日
遠足
2022年10月10日
かれこれ4年間も国境を越えることがなかった・・・
2022年10月05日
国慶節の日の出かけ
2022年08月04日
あと何年、何十年かにして
2022年07月18日
2022年07月11日
2022年07月07日
2022年06月24日
猛暑・・・
2008年10月02日
2008年10月01日
798工場---北京

798工場--歴史とアートの共存
50年代東ドイツの援助で建てたバウハウス建築仕様の軍事工場--798工場。
が、いまでは中国本土のみならず世界中の若い芸術家たち表現の場になり、
同時に一大観光地にもなった。
今年8月某日、知り合いの個展にあわせこの798に見て来た。
真っ赤な"798"の文字が飾った入口を通過した突端、
遠くまで続く一本道の両脇に
個性的な看板を掲げているギャラリーはどころ狭し並んでいる。
話が聞けば、空いた工場の建物がそのまま個人に貸しているそうです。
しかも、今も工場として稼働しているエリアはあるとか。なるほど、
エリア内はギャラリー見物人と工場労働者が行き交う訳だ... 奇妙な光景だ。

ギャラリーの作品展示風景

改装中のギャラリー。40年前に毛沢東を讃えるスローガンはそのまま。。。

稼働中の工場。なかなか重厚で、"味"のある外観
2008年09月28日
北京は脱皮中

雨が降り出す北京東部にあるビジネスセンター街
今年の7月頃北京へ。
その変貌ぶりに驚く。当たり前に思うような都市のスカイラインだけではなく
街で歩くと、商業施設に入る時など 地元の北京っ子の人数の少なさに気がつく。
タクシーに乗り、目的地に着くまでの間に運転手との会話が 情報の収集源にしてます。
彼らの話によると"北京人"(こんな呼称にも驚くが)はオフィスに入った連中以外に
ほとんどは不動産や、サービス施設の提供するビジネスなどで
生活しているそうです。"夜にならないと"活動しないとも付き加えていた。
知り合いの紹介でSOHOタイプのオフィスに訪ねた。
ワンフロアのスペースに広々としたサロンと2つの展示室を占め、
残りの30帖ほどはデザインルームとして使われていた。
のんびりお茶を飲みながら、友人、地方出身の商談者を交じりながら話をする光景に
馴染めるまで美味しいお茶とタバコ4本のタイムラグがあった。
観察で得られた感想(推測)なのですが、つまり、"アンダーグランドの世界"で
新たなビジネス感覚で、新たな時代の"北京人"を作り出している最中っ
ってところですかね...
"北京に戻って来いよ。なんでも可能ですから..." のような言い方は
今回の帰京で沢山聞かされる言葉の一つだった。
2番目に多いのは"北京人による北京のルール回復を..."
うん、なるほど、似たような話が聞いたような...。
そう言えば、北京の道に走っている外国の"超の付く"高級車の窓から痰を吐くのを見て
タクシーの運転手は怒っていた。"チェっ、あれは田舎もんの金持ちだ"と....
まあ、変化はこれからのキーワードになるに間違いがない。
2005年06月09日
アメリカの旅--射撃クラブ

6月17日。今回の旅の目的である妹の結婚式は無事行われた。
20日の日本帰国に備え、残り一つの願望に移した。それはGUNの自由の国の"体験"だ。
早速サイトで一番近いところを選び出し、高速で走る1時間後一軒小さなGUN CLUB辿り着いた。
すぺての状況において自己責任である誓約書にサインしてから、ガラスのカウンタに陳列されているたくさんの拳銃の中から、拳銃2丁を借り、射撃用的を選び、玉100発を購入した。しめて70ドル。
拳銃の扱い方を説明した後、初めてずっしりとした重い鉄の固まりを手にした。と同時に一種の恐怖感が漂う。今度防音ヘッドホンかけたまま、(防音)ガラスの向こうの部屋に案内され、再び銃口の指す方向(いかなる場合も人間に向けるべからず)について"丁寧に"説明した後、充填した銃を的に向けた・・・
部屋に高度緊張の1時間。出てきた後のノドはカラカラだった。